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紀北はしもと法律事務所

追悼 増田健郎先生

 本年6月6日(月)午前10時ころ、私にとっては、弁護士としての父ともいえる増田健郎先生が亡くなられました。享年63歳でした。

 私が在籍していたときから、検査入院等をしておりましたが、ほぼ通常どおりに仕事もしておりましたし、楽しそうに太極拳などもしておられました。独立した後も、少し難しい病気であることはお聞きしておりましたが、「すぐに亡くなるとかいう病気ではない。」とも聞いておりましたので、特に心配もしていなかったというのが正直なところで、訃報をお聞きしたときには信じられない思いでいっぱいでした。

 こういったこともあり、6月7日、6月8日は、私は、増田先生に対する最後の恩返しという気持ちで、通夜・告別式にできる限りの協力をさせて頂きました。そのため、この2日間は、打ち合わせの予定をお断りしたり、新規ご相談のご予約もお断りさせて頂いたりし、ご迷惑をおかけしました。もちろん、現在は既に通常(通常以上かも知れません)どおりに業務をしております。

 増田先生は、明るくて心の広い先生でした。私は弟子という立場でしたが、正直、怒られたような記憶はありません。しかし、不当に抑圧されたりした方がいらっしゃったら、その相手がどのような相手であれ、敢然と立ち向かう先生でした。そのため、増田先生には、本当に多くの依頼者がおられ、いわば「ファン」とでもいうべき方もいらっしゃいました。増田先生の顧問先の社長には、ブログ(http://ameblo.jp/ohmi-k/day-20110609.html)で「正義の弁護士」とも評価して頂きました。

 弁護士になりたてのころ、増田先生の相談を受けるスタイルが「マジック」のように思えたこともありました。私は、間違ったことを助言してはならないという思いもあり、一生懸命、文献や判例などを調べて、依頼者に「正しい」ことをお伝えし、納得をしてもらおうとするのです。しかし、弁護士になりたての私の話は、どうも、依頼者の方にストンと理解してもらえるには至らないようなのです。そういったときに、増田先生に話をして頂くと、依頼者は、安心して「なぜか」納得して帰られるのです。不思議なのは、私が話している内容と増田先生が話された内容は特にかわらないのです。場合によっては、私の話の方が正確なこともありました。それでも、依頼者は、増田先生の話に納得されるのです。弁護士になりたての私には、こういったことが「マジック」に思えたのです。その後、増田先生は、私に「正しい」だけではダメなんだとおっしゃったことがあり、今も、心に刻んでいます。

 増田先生の息子さんが喪主としてご挨拶された際もおっしゃっておられましたが、増田先生は、みずほパートナーズ法律事務所(http://www.mizuho-partners.jp/index.html)を愛され、その事務所の弁護士、職員を愛されておりました。これも、私が弁護士になりたてのころの話ですが、ある事件で、大阪高等裁判所に係属している事件がありました。公開の口頭弁論期日では、余計な話をする時間はないことが多いのですが、和解含みの弁論準備手続期日などでは、事件に関連する話やほとんど関連しない話まで、様々な話をすることがあります。その中で、裁判官が、私に「君は何年目の弁護士だね?」と尋ねられたのです。私はまだ登録して数ヶ月でしたので、「1年目です。」と答えると、その裁判官に、「よく勉強しているね。」とほめて頂いたのです。そして、隣にいた増田先生に対しても「良い弁護士になりますよ。」と言って頂いたのです。今考えても、どうしてほめて頂いたのか分かりませんが、増田先生は、自分のことのように喜んでくれたのです。そして、このエピソードは、何ヶ月後かの私の結婚式のときにご挨拶頂いた際にも、嬉しそうに話して頂きました。こうして、私は、弁護士として、自由に伸び伸びと育てて頂きました。

 そんなご恩のある私が、約2年前に独立し、故郷の和歌山県橋本市に弁護士登録を変更しました。独立の約半年前にその旨のご相談をさせて頂いたときには、少し驚いておられましたが、「弁護士というのはそうやって成長していくんだよ。」と笑顔で、応援するとおっしゃってくれました。増田先生自身、島根県(旧)瑞穂町出身で、事務所もそのような名称を付けることにされ、毎年、故郷に帰られて法律相談をしておられ、故郷に対する想いは共通するものがあったのかもしれません。

 本当に、増田先生の思い出は書き出せばキリがありません。増田先生、本当にありがとうございました。増田先生に教えて頂いたことを糧に、今後も、地元橋本市で、全力で弁護士業務を行って参ります。増田先生の御霊が安らかなることをお祈り致します。

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